「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」
学園祭後の休講日に、話題のゴッホ展@国立新美術館へ。。。
下馬評によれば、「とにかく混んでいる」ということで、終了40分前に入場した。平日の17時過ぎで大雨の日だったので、言われるほどの混みようではなかったのが幸いだったか・・・。
テレビの情報番組(ゴッホ展の混雑を伝えていた番組)によれば、「日本人はゴッホが好きだから(混んでいる)」とのことだったが、今まで行ってきた展覧会のときと同様、教養のないワタシはそんなにゴッホには明るくない。有名な作品「ひまわり」とかを知っている程度だ。
しかし、ゴッホ展。
正直、ワタシの想像を超えるすばらしさだった。
この展覧会のコンセプトなのかもしれないが、ワタシのような絵画にくわしくない初心者にも、「人間ゴッホ」がよく分かるように工夫されている。
例えば、展示されている年表、ゴッホの足跡をたどるDVD(会場で流されている)、ゴッホ展のテーマソングとなっている平井堅の音楽、「黄色い家」を再現したセットなど。主役はゴッホの絵なのだろうけれども、それぞれの絵がどんな環境・どんな心境のときに描かれたものなのかが、よーく分かるようになっている。
ゴッホをよく知り、その絵にも精通されている方にとっては、邪道な展示物といえるのかもしれないが、初心者にとってはこれらの演出のおかげで、展示されている絵を深くみることができた。
なんかね・・・ゴッホって、絵にいきつくまでは何をしてもうまくいかない青年で、絵という没頭できるものを見つけて理想(の絵と芸術家としてのあり方など)をまっすぐに追求し、そしてあまりのアーティスト気質?のために心のバランスを崩し、残念な最期となってしまうという。
ゴッホにとって、「絵」と出会えたことははたして幸せなことだったのだろうか?「絵」と出会わなかったら、その才能は眠ったままで、ワタシたち後世の人間にとっては、彼のすばらしい作品を目にすることができなかっただろうということはあるけれど。でも、平凡な一生でも、家族を持ちもっと長く生きることができたかもしれないし。
ただ、ゴッホ自身はこう言っているとか。
「ぼくは100年後の人々にも、生きているかの如く見える肖像画を描いてみたい」。
生前は不遇で、その才能を認められることのなかったゴッホの願いは、120年の時を経た今、かなっているのかなあ。
ワタシが今回みた絵の中で特に心に残ったのは・・・
・ゴーギャンの椅子
・黄色い背景の花瓶のアイリス
かなあ。
「ゴーギャンの椅子」は、(結果うまくいかなかったけれど)同じ志を持つ画家ゴーギャンとの共同生活をはじめる前のワクワク感とかいろいろな思いが伝わってくる。
「アイリス」は、サン=レミの療養施設で描いた絵で、花瓶の中で活き活きと咲いている花と茶色く枯れた花弁のコントラストが鮮やか。
東京では12月20日まで開催中。
まだの方はぜひ!
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