文章を書くということ。
「文章を書くということ」について、あらためて感じたできごとがあった。
近隣に生息し、瀕死状態になってしまった野良猫さんを保護してくださった方がいる。お名前もお住まいも知らない方だが、野良猫さんが元いた場所に、「かわいがってくれた近所の人がいるだろう。突然いなくなって心配しているだろう。」と、保護の経緯と現状の様子などをメッセージとして残してくれた。
ワタシは、簡単なお礼のメモ等を返信としてそこに置き返したりしていたが、オットが「オレもお礼の手紙を書いて置く!」と言い出した。オットのシゴトは絵をかくことであり、事務職ではないので、自他ともに認める「文章を書く機会がない人」である。同じ年代のいわゆる事務系のサラリーマンの方にくらべたら、シゴト柄、文章を書く機会はきわめて少ない。それでも、保護してくださった方への感謝の思いと、厳しい自然の中で生きる生き物たち(猫だけに限らず)への思いを、ワードでA4・3枚強の手紙としてまとめてきた。
相当時間がかかったらしく(何時間もかかったそうだ)、また、自らの文章に感極まって書く手がとまることも何度もあったとか。ワタシも読ませてもらったが、確かに、少し意図が伝わりにくい構成のところもある。でも、思いは非常に伝わる、胸を打つ文章だと思った。
常日頃、文章を書くことに慣れている自分はどうなのか?
悪くいえば、適当に書くこと、すらすらと書くことができるがゆえに、薄っぺらな内容になっているのではないか?
相手に思いは伝わっていないのではないか?
いや、もしかしたら、「思い」自体そんなにないのではないか?
たとえ、形式を重視するビジネス文書だったとしても、「そもそも伝えたいこと」があるはずだ。それを考えることなく、カタチだけ整っていればいい、早くできればいいと思っているのではないか?
「文章を書くということ」はそもそも何の目的で行われることなのか、その根っこの部分には「相手に伝えたい思い」があるはずなのだ、という、忘れかけていたことに気づいたできごとだった。
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