「しゃべれどもしゃべれども」
しゃべれどもしゃべれども
気持ちを伝えられず
しゃべれどもしゃべれども
“想い”に言葉は敵わない
しゃべれどもしゃべれども
伝えたいことはただひとつ
何かを誰かを「好き」という想い
ただそれだけ
【シネマカフェ.netの紹介文より】
2つ目の落語家、今昔三つ葉(国分太一)。古典落語にこだわるが師匠の真似ばかりで思うように腕は上がらず真打ちには程遠い。そんな悩める彼のもとにひょんなきっかけから「落語を、話し方を習いたい」と無愛想で口下手な美人・十河五月(香里奈)、勝気な関西弁の少年・村林優(森永悠希)、毒舌の元プロ野球選手・湯河原太一(松重豊)の3人が集まってくる。ところが、彼らは集まるごとに言い争い、なかなか落語も覚えない。そんな彼らをまとめなくてはならない三つ葉にも“恋”と“仕事”の迷いがあって…。1997年「本の雑誌」ベスト10・第1位に輝いた小説を『愛を乞うひと』の平山幸秀監督が映画化。TOKIOの国分太一の初の単独主演映画。
定席寄席、浅草、ほおずき市、鬼子母神、都電、荒川河川敷、そして三つ葉と祖母が暮らす昔風の民家・・・そんな昔下町の風景と、下町に暮らす庶民の生活感が漂う中、ストーリーは展開していく。
落語としゃべりを「教える側」になる三つ葉、「教わる側」の十河、村林、湯河原・・この4人が心の中に抱える「変わらなきゃ」という気持ちがいとおしい。最後には、それぞれが少し「変わった」のかもしれないが、少なくともありがちなサクセスストーリーではない。いわゆる「成功者」からすれば、「なんだ、ほんの少し前に踏み出すことができたくらいじゃない。。。」と思われるかもしれない。でも、その成長は、本人たちにとってみれば、非常に大きいものなのだ。三つ葉を例にとれば、師匠に向かって「(寄席で)話を聞いてほしいからしゃべっているんじゃないか」と言い放っていたが、落語が本当に好きだという想いを深め、お客様にこれまでよりも少しは認められるような噺ができたということは、落語家としての壁にぶちあたっていた彼にとって、大きなステップだったのではないか。
関西弁で「まんじゅうこわい」を演じきる村林役の子役、森永君の演技がこれまたすごい。関西弁で明るくふるまう中に見え隠れする繊細さを表現している。「まんじゅうこわい」で、なじめなかったクラスの仲間が大笑いし、認められるシーンでは、思わず手をたたいて喜んでしまった。
湯河原もまた、いい感じのキャラクターだ。技術論は的確で試合展開の読みも的を得ている・・・にもかかわらず、解説となるとアナウンサー泣かせのつまらないコメントに間の悪さ・・・。そんな評判のせいか、仕事が減って、奥さんのお兄さんの飲み屋でアルバイトをしている姿がまた哀愁を感じさせる。
そして十河。こういうタイプの女の子は少なくないと思う。怒っていないのに怒っているように見えてしまうタイプ。美人なのに・・・。言葉でうまく自分を表現できず、損をしているタイプ。
卒業生にも十河タイプがいて、成績はよくきちんとしているのに、就職活動の面接で落ちまくっていた。十河を見ながら、その卒業生のことを思い出し、ステレオタイプに「明るく」「元気で」と連呼していた自分の浅さを恥ずかしく思った。きっと彼女にとってはその励ましはプレッシャーで、「分かっているけどできない悔しさ」「自分の不器用さに対するもどかしさ」を抱えていたに違いない。
なんでもかんでもしゃべればいいというものではなく。
でも、しゃべらなければ伝わらないことも多い。
この映画、「コミュニケーション上手」を自負している方にとっては、見ても主人公たちがじれったくなるだけかもしれない。
しゃべること、伝えることに、少しでもコンプレックスを持っていたり、自信がなかったりする方にはおススメ。
最後に、師匠(伊東四朗がまたいい感じなんだよね・・・)と三つ葉の、映画の前半での会話を・・・。
師匠「誰もお前の話なんて聞いてないじゃないか」
三つ葉「こっちは聞いてほしくてしゃべってるんです」
師匠「わかってねえなあ、お前は」。。。
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