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February 27, 2010

「”頼れる人はここが違う”有名社長のわが本音」

President

PRESIDENT 2010.3.15号

まあ、メインタイトルはいつものごとく刺激的だけれども。。。

おもしろかったのは、「”頼れる人はここが違う”有名社長のわが本音」という特集。
JR東海、味の素、伊藤忠、花王、IBM、グーグルといった日本を代表する企業の社長が、「いる社員」「いらない社員」像について語っている。
IBMの橋本社長は、営業担当者時代やマネジメントをしていた経験等から、いらない社員を「顧客や部下よりも、自分を光らせる人」という。深くておもしろい言葉だなあと思う。

花王の尾崎社長の話しには、ある意味励まされた。
そもそもはマーケティングをやりたいと思っていて、そう希望して入社したとか。ところが最初に配属されたのは情報部門!! 出た~!情報部門!ワタシと一緒だ。まあ、花王の情報部門は相当レベルが高いと思われるが。。。

「ちょっと違うところに入ったかな」というのが正直な気持ちでした。しかし、結果的には情報部門にいたおかげで会社の情報の流れがすべてわかるようになった。販売系の情報、マーケティング系の情報、生産系の情報、経理の情報・・・どのような情報がどう動いて、どことどう関わりあっているのか、全体の流れを一括して把握できるのは情報部門しかないのです。
入社して40年近くになりますが、システムが変わったり、処理のスピードは変わっても、情報の流れは何一つ変わりません。

すばらしい。。。

ワタシが同じことを言っても誰も信じてくれないが、天下の花王の社長がこのように言ってくだされば、「日陰の情報部門」も救われた気がする。

確かに、ワタシが入社した時代、数百名の新入社員の中で、「ひよっこ新入社員であるにもかかわらず、全社的(グループ会社のことまでも)な視点で、しかも現場レベルで会社の動きや情報の流れを知ることができる」のは、情報システム部門だけだと思う。
今考えると、あの時配属を決めてくれた人事部?には感謝だな~。

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February 26, 2010

若手社員のオシゴトあれこれ

若手社員(新入社員~2年目社員くらい)のシゴトは、多岐にわたる・・・。

ワタシが新入社員の頃は、朝の机拭きも交代で行っていた。(お茶入れはなし)
あと、課のミーティングの議事録を持ち回りで作成することも。情報システム部門は専門用語が多いので、最初の頃は、ミーティングを真剣に聞いていても、「なんのこっちゃ」という感じでまったくわからないのだ(もう、言葉そのものが)。
そんな状況で作成したぐちゃぐちゃの議事録を、当時の課長(課長代理の場合も)は本当によく添削してくれた。しかも、少なくともワタシが所属していた課の議事録フォーマットは、A4・1枚でまとめきれないといけないように構成されていた。今思えば、「コンパクトに要点をまとめる」という非常によいトレーニングになっていたわけだ。

そして、新入社員は電話を3コール以内で取らなければならない。内線の鳴り方と外線の鳴り方が違うので、内線の場合は「部署名」を、外線の場合は「社名」を言う。瞬時に音を聞き分けて言う言葉を変えるのだ。これも、最初は難儀していたが、1年も経つと、電話が鳴る前にかすかに聞こえる「プチっ」という電子音の段階で電話を取ることができるようになった。電話を取るということに関しては、早いこと=良いこと だから・・・。

新入社員に限らずなのだが、情報システム部特有のシゴトの一つに、「オフィスの引っ越し」「レイアウト変更」に伴うコンピュータ配線があった。荷物の移動等はもちろん引っ越し業者さんが行ってくれるが、最終的なコンピュータの配線(もしくは、配線後の確認作業)は、なぜか情報システム部が行うことになっていた。地方は丸ごと他の業者さんに依頼するのだが、首都圏に関しては、情報システム部がなんだかよくわからないけれど引っ越し直後に出向き、業務に支障なくコンピュータが使えるかどうか確認に行っていた。
ここで問題だったのは、同じ会社の従業員であるのに、引っ越しをした部署の人たちは、ワタシたちを見て「業者の人」と思うこと。まあ、カジュアルウェアで床にはいつくばって机と机の間をのぞいたり、電源やケーブルを抜いたりさしたりしているのを見てそう言うわけだけど。最初は「業者さん」に間違えられることは少しショックだったな~。

そもそも、配線とかは苦手な分野。
小学校か・・・中学校か・・・理科の時間に、豆電球をつなげて点灯するかどうかという実験を行ったことがあったが、ワタシは最後までつなげなかった(並列つなぎができなかった~)。一人、最後まで豆電球が点かないという。。。しかし、そんな人がオフィスの配線確認&コンピュータ立ち上げ確認をするなんて。。。今思えば恐ろしい。

本業以外のシゴト(?)もある。宴会が得意な人は各種飲み会の幹事とか。
入社2年目だったかな・・・なぜかワタシが担当を割り振られたのが、その年に全社的に取り入れた「ファイリングプロジェクト」の部内サブリーダー。
まだ「個人情報保護法」もない時代で、今ほどセキュリティ意識も高くなかった(まあ、ネットワークが今ほど構築されていないので、その分リスクも少なかったから・・・)時代。おそらく、今後ペーパーレスにしていきたい、また、企業としてセキュリティも問われていくだろうという観点および、あまりの社内の紙の多さとオフィスの乱雑さを何とかせよ!という命令により、立ち上がったプロジェクトなのだろうと思う。
なぜ、ワタシがサブリーダーなのかはいまだ不明。ちなみに、リーダーは、ワタシと同期で同じ年のシステム子会社のプロパー男子社員(机の島も同じだった)が任命された。彼の任命理由は、「部内で一番机および周辺が汚い人だから」だった。
サブリーダーの役割は、まずリーダーのお尻をたたき、リーダー自らを模範たる(・・・というか、せめて人並みの)デスクトップにさせること。あとはリーダーと一緒に全国会議に出たり、書類につける番号のルールを決めたり、いらない紙を捨てまくったり!破棄する書類等を積み上げて、その縦横サイズと重量を量り、写真を撮って、プロジェクト本部(総務部だったかな?)に報告するという決まりがあった。重量は報告しても分かりにくいので、数値データとともに、「小錦○人分削減!」と報告したような記憶がある。

それもこれも、本業ではないが、若手社員のオシゴト。
今思えば、何かしら良い経験になっている・・・はず。
・・・かなあ???

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February 23, 2010

卒業見込み→卒業確定

昨日は、進級&卒業確定の日。
(まだ追試などもあるにはあるが)

ガイダンスを行い、一人一人に成績表を配布し、卒業できる人については、あとは卒業パーティまで何もなし。春休みをエンジョイするのみ。
就職状況が厳しい中、いまだ活動中の子もいるが、なんとかすべりこみで内定を獲得した学生も。。。そして、ワタシの研究室の前にあるホワイトボードにこんな書きおきが。

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よかったね~。
でも、なんでイニシャルで書いてるのだろうか???

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February 21, 2010

「現代語訳 論語と算盤」

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現代語訳 論語と算盤」ちくま新書
渋沢栄一 訳:守屋淳

【出版社の紹介文より】

実業界の父が明かす、
ビジネスの秘訣

資本主義の本質を見抜き、日本実業界の礎となった渋沢栄一。経営・労働・人材育成など、利潤と道徳を調和させる経営哲学には、今なすべき指針がつまっている。

実は、現代語訳ではない方の文庫を先日購入し、読みながら挫折しそうになっていたところだった。。。内容的にはとても興味があり、ぜひ読みたいと思っていただけに、現代語訳版を書店で見つけたときには、即レジに・・・。

先日購入したコチラ・・・

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う~ん、どうしよ。
ブックオフ行きかしら~。

現代語訳だと、驚くほどすらすらと読める。
古さを感じさせず、まさに今だからこそ大切なことが盛り込まれていて・・・。いや~、大正5年(1916年)発行って・・・。まるで、現代の日本を見て書いた(言った)ようで驚く。

正直、この本にまずひかれたのは、そのタイトル。「利潤と道徳を調和させるという経済人がなすべき道を示した」という意味。渋沢栄一という人は、その業績以上に、「バランス感覚に長けた人」として評価されたのだろう。

「人材余りになる大きな原因」
「争いはよいのか悪いのか」
「本当に正しく経済活動を行う方法」
などの項目が、個人的には特におもしろかったが、人それぞれに印象的な項目は異なるのだろうと思う。

実業家の方にも、コンサルタントの方にも、教育者の方にも、そして人を育てる親となっている方にもオススメ。
昔の文体に自信のある方は、現代訳版ではない方を読むと、より一層、渋沢氏の伝えたかったことの空気感のようなものが感じ取れるのではないかとも思う。
ワタシ同様、すらすら~っと読みたい方は、現代語訳版をどうぞ。

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February 20, 2010

基本、ひきこもり好き

案の定、入試業務のために出勤したら非常に疲れた。
久々に勤務先のメールを開くと、あれまあいろいろと・・・。

結局こなしきれずに先送りにしたものも。

でも、何よりも、基本的に人と接することが不得手なものでして。久しぶりに人がいて(・・・まあ、そんなに人が多くてわさわさしている日ではなかったけれど)、いろいろ交流や調整をしなければならないということが疲労を生む性質。
メールの処理もなんだか報告書の作成とかめんどくさそうな(爆)ものばかりで結構うんざりしてしまう。
突っ走っているときはいいけれど、間があくと、この自分の本質が表れてくるんだな。
疲れた疲れた。

帰りには久々に美容院へ行きカットを。
担当の美容師さん(女性)が、6月に結婚すると!明治神宮&明治記念館にて。小柄で細いけれど、しゅっとした美人さんなので、白無垢が似合いそう・・・。今度やるときは和婚がいいな・・・と妄想。
疲れていたけれど、美容院はやはりよい気分転換になった!

そしてそして・・・。

高橋大輔君、銅メダルおめでとう!
織田君もがんばったよ~。彼の涙を見ると、なんだかヨシヨシしてあげたくなる。

これは、わが家のダイちゃん。得意技はカーテンレール疾走&ハンガーラック乗り。

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February 19, 2010

日々日々企業訪問・・・

そして本日も(日付上はすでに”昨日”になっている!)。

本日の訪問先は、ホテルと財団法人というまったく異なるタイプの組織。
ホテルは立地がよいからか、あるいはアジア等からの顧客がかなり多いところだから?、チェックアウト後・チェックイン前の14時前にしてすでになかなか盛況。制服を着てベル業務をしている一人の学生をみかけたが、なかなかサマになっていてよかった。

そして財団法人の方。
事業仕分けで相当やられていた(!)ので、インターンシップを受け入れていただけるかどうかも心配だったのだが、そこはなんとか。偶然にも、昔から個人的にシゴトでおつきあいがあったところなので、がんばってほしいとも思いつつ。
来週、全国都道府県から関係者を集めた会議を行うとのことで、実習学生は、その準備などを任せてもらっているらしい。会議の事前アンケートが「苦情っぽい内容ばかり」で、それに驚いたということ。国に言えないことを中間に入っている財団という組織にぶつけるわけだな~。いわゆる「顧客」ではなく、広い意味でとれば「身内」からの苦情というか要望。
「身内」には、おまけも値引きもきかないから、要望・苦情・わがまま(?)を調整するには、外部の「お客様」とはまた違ったやり方が必要だ。
その人そのものや、ミッションそのものを見て、感じて、納得して、やっと「身内」である人は動くもの。それをどう調整するか・・・結局は、真摯な姿勢をみせ、丁寧に説明するしかないのだろうけど(ずるいやり方で身内を自分の味方に引き込むやり方は、今や誰もが見抜いてしまうのでやらない方がいいと思う)。そんな大人の世界を垣間見ることができれば、実習に行っている学生にとってはよい社会勉強のはず。

わりとアクセスのよい2社であったにもかかわらず、結構疲労。
来週予定している訪問先は、少し遠いな~。

そして明日は入試で出勤。
もろもろの雑用もある程度片づけて週末を迎えたいなあ。

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February 17, 2010

日々企業訪問・・・

本日も引き続きインターンシップ実習受け入れ先へごあいさつなどに出向く。。。
本日出向いた企業は情報システム関連企業。やはりなかなか厳しいようで・・。

実習生の一番の疑問だった「服装問題」もどうやら解決したらしい。
「服装問題」というのは、服装が乱れているとかそういう件ではなく、「スーツ」と「超カジュアル」の間の線引きとなる服装のこと。ワタシが担当している実習先は、今日行ったようなIT系やデザイン会社、学校系の出版部門その他、担当するワタシに合わせたのかどうか比較的自由な感じの会社が多い。
企業=スーツ(しかもリクルートスーツなもので黒)という刷り込みがされている学生たちにとって、実習先が要望する「ビジネスカジュアル」がわからないらしい・・・。
かといって、スーツで来られると軽作業的な仕事をお願いできないし、周囲の人からも浮きまくる(・・・これは、以前、実習先企業に実際に言われたこと)。

同じ職場の先輩を見て、どういうカッコをしたらいいのか分かったようでなにより。

で、その後、「就活エリートの挫折」や「アクティブラーニングとは」といったお話しを別件で聞きにいく。

それにしても寒い。今夜から明日朝にかけて雪がちらつくとか。。。う~む。
そして明日も2社訪問予定。

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February 16, 2010

たい焼き 鉄次

先週は、採点の祭典。
今週は、インターンシップ先の企業訪問祭り。

今日はまず1社訪問。
高層ビルのきれいなオフィスで働いていた。実習先の担当者や教育係の人から親切にいろいろと教えてもらっているらしい。いいな~。ワタシがインターンシップに行きたいくらいだYO!

でも、アリかもしれない。
大人のインターンシップ。
2週間くらい他のところで働いて、元の組織に戻ったら、かなり新鮮な気持ちでその後のシゴトに取り組めるような気がするけどな~。

寒い中の企業訪問の間の楽しみは、普段の通勤経路には入らないまちを歩くこと。そして、何か買ったりすること。まあ、それくらいささやかな楽しみがあってもよいのでは?

今日は、東京駅大丸の地下で、たい焼きを購入。

たい焼き 鉄次

紙袋や温め方の説明書に書かれているたい焼きの絵がとってもカワイイ。味も、皮はパリっ!中のあんこはぎっしり!でなかなかよいお味。1個だけ買って、その場でアツアツ状態のたい焼きを食べている人もいた。
今のところ、東京駅大丸地下にしか店舗がない様子。お近くにお寄りの際はぜひお試しを。

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February 15, 2010

秘密の板

バンクーバーオリンピック・・・なんだかんだで見てしまう~。

上村愛子ちゃんはどうしてオリンピックだと3位以内に入れないのだろう?
かといえば、ノーマークで名前も出ていないような人が「あれあれ?」という間にメダルを取ってしまうこともある。オリンピックには魔物がいるって本当かも!

場外論争も。

東海大学も大変です・・・。
刑事事件を起こしたわけではないので、学校として謝罪することもないような気がするけど。

実は!

ワタクシも、板は持っている。

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何年前・・・いや十何年前のものだろう??

一応、バートン製。

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なかなかキュートな柄でございます♪

今やインテリアとして置いてあるだけだけれど。

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February 14, 2010

新入社員は失敗する生き物である

「情報システム部」の中には3つの課があった。
基幹システムの開発を行う課(仮に”1課”と呼ぶことにする)、関連部署との連携を統轄し情報系システムの開発等を行う課(同じく”2課”としておく)、そして、情報システムの日々の運用を行う課(同じく”3課”)。
ワタシが配属されたのは、「関連部署との連携を統轄し情報系システムの開発等を行う課」だった。

基幹システムは、その名の通りその企業の基幹的な業務を支えるシステム・・・たとえば、請求とか基本的な顧客管理とか契約管理とか。「トラぶったら、止まったら大変!」なシステムのことである。金融会社なのに、請求が間違ったり遅れたりしたらそりゃ大変だし。
その当時はバブル後期で、急速に会社が成長し、顧客・契約、そして商品も急増していた時代だった。1課は、ふくれあがるデータやアクセスが増えるシステムの維持と、新しい商品に対応する新しい基幹系システムの開発に追われていた。

3課は、基幹システムの運用が主な仕事。システムは運用時間が決まっており、夜中や休日にバックアップやメンテナンスを行う。また、請求や経理など、締め日が決まっている業務に関しては、それに合わせてシステムも更新するようになっている。
その日々の運用処理がつつがなく進められるように、各種のシゴトを行っていたのが第3課だった。

そしてワタシが配属された2課。基幹系以外のシステム・・・要は、絶対にとめちゃいけない!まではいかないシステムの面倒をみるという役割なのだが。
正直、この課が一番何をやっているのかわからないような課だった。
当時は、エンドユーザコンピューティングの出始めで、現場で必要なデータを出し、加工し、スピーディな業務遂行をしてもらう・・・という考え方が出回ってきた頃。
基幹系のシステムに蓄積されたデータを、現場(各営業支店など)で加工・出力して機動的な営業活動等に役立てる・・・そんな小回りのきくシステムを作り、提供するというシゴトが、その頃、2課に任されたミッションであった。つまり、何か新しい試みはこの課が請けおうということ。

入社直後は、外部研修、会議の議事録を取ること(専門用語が分からずまともな議事録も取れなかったが)、先輩の手伝い程度(しかできないし・・・)。なにしろ、少人数でまわしている部署なので、先輩は忙しい。I社のマニュアルをどさっと置かれて、「とりあえずこれ読んでおいて」という日もあった。
外部研修でよく行ったのは、新宿住友ビルにあった(今もあるの?)CSKの研修センター。プログラミングのようなことはしなくていいらしく、今でいうアプリケーションソフトの研修に行かせてもらった。これは結果としてはよかったかも。他の部署に配属されていたら、その時期に、ワープロや表計算、データベースの研修なんて行かせてもらえなかったもの。。。
まあ、ワード、エクセル、アクセス・・・ではなく、一太郎(とDos文書プログラム)、マルチプラン(とロータス123)、dbⅢってものだったけど。

そして、秋葉原に当時あった、IBMの研修センターにもよく行った。

シゴト内容はあらためて・・・として。

今回のタイトル「失敗」。
これはよくやった。笑っちゃうくらい失敗した。一新入社員個人としての失敗も多かったし、試行錯誤の時代だった情報システム部の、初めてのことゆえ、チャレンジゆえの失敗も多かった。今ほど便利ではない時代。今だったら簡単にリカバリーできることなのに、その時代は多くの手間をかけてやらざるをえないこともあった。
でも、それで学ぶことも多かったわけだ。

失敗は数あれど、思い出に残る(?)失敗を今回は3つほど。

まず一つは部署としての失敗・・・というか、大変だったこと。
2課で担当していた情報系のシステムに関しては、何かプログラムの修正があった場合等は逐一社内メールで送っていた。「メール」といっても、「電子メール」ではない。「社内郵便」である。
当時関連していた部署は約50。50枚のフロッピーに該当するプログラムのファイルをコピーして、そのフロッピーを社内便用の封筒に入れて発信元と送付先部署を書いて。送付状を入れて、インストールマニュアルを作成し、50部コピーして各封筒に入れて、社内便にのせる。
これだけでも大変な作業。3人くらいでこの作業を行っていたかなあ。

今だったら、電子メールで配信するとか、サーバをいじって更新すれば済むことだと思うのだけど。当時はそんな作業を行っていた。

それでも、うまく変更できればよいのだが。
メールを送った次の日くらいから電話がジャンジャン鳴ってくる。「うまくインストールできません!」「やり方がわかりません!」という問い合わせの・・・。
説明できる程度だったらよいのだが、問題は、送ったプログラム自体にミスが見つかったとき。謝罪の電話やファックスを各部署(50箇所・・・)にし、作業は初めに戻る・・・ということ。あらためて、50枚のフロッピーのコピーからスタート・・・。このあたりはもう、新入社員の力仕事になる。大変だったけど。。。まあ、いい思い出かな?

そして、ワタシ個人の失敗で思い出深いこと。

まず一つ目は、社内ネットワークをバチン!と切ってしまったこと。これは始末書レベルの大失敗だった;;
「これ消していいのかな?」とついついバチン!
・・・これは笑えない失敗だったな・・・

そしてもう一つ。
当時、ワタシの所属課の課長によく電話をかけてくる他部署の課長がいた。
その人は、仕事上、情報システム部と非常に関わりの深い営業事務関連の課の課長であり、2課の課長と同期(?)かなにかでプライベートでも仲がよさそうだった。結構電話でもなれなれしい感じ(失礼!)で、部署名を名乗ることなく、しかも関西弁で、「○○(←自分の名字)やけど、△△(←2課の課長の名前)おる?」と電話をかけてくることが常であった。

ある日もまた同じような電話が。
「△△課長、○○課長からお電話です」といつもと同じようにつなぎ、課長は「おう!」という、これまたいつもと同じトーンで電話に出た。
しかし、その後なぜか妙に恐縮している様子・・・。

なんと。

その電話は、当時の社長からの電話だったのだ。
当時の社長(現CEO)の名字と、いつも電話をくれる課長の名字は同じ。そして同じ関西弁。。。まぎらわしい!
2課の課長はご立腹だったが、これは、ちゃんと部署名を名乗らない方が悪いでしょ~。

というわけで。
新入社員は失敗する生き物である。
20年もたてば笑い話にもなる。

・・・きっとまた・・・続く・・・

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February 13, 2010

冷たいみぞれが降っている

1日、春の暖かさがあったかと思えば、翌日には最低気温氷点下の寒さ。
やってられなーい。

今週は採点評価、会議、教員総出の面接練習、さらには世の中的には祝日の11日に入学予定の高校生を集めてのパソコン受け渡し&セットアップ立ち会い・・・と怒涛の忙しさだった。その上、別件の原稿の修正依頼まで。。。はぁ~っ。
金曜日に一通りの案件が終わり、帰りに漢方治療院に立ち寄って。
花粉症用の目薬なども処方してもらう。
「花粉症」が話題になるということは、春はすぐそこまで来ているんだな~。

今日のところは、冷たいみぞれが朝から降っていることもあり、少し休息。
朝、いったんゴミを出して、二度寝。ごろごろしながらバンクーバー五輪の開会式を見たり。。。なんだか織田君ばかりがテレビに映るような気がしたんだけど???

明日はまたちょこっと出かける用事もあるので、今日は一歩も外に出ない決意!
こんな日があってもいいはず。

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February 08, 2010

運命の(?)配属発表

前回の続き。

長い長い新入社員研修も終わりに近づき、いよいよ配属発表となる前に、一応「面談」があり、一応「希望部門」のヒアリングが行われた。ただし、原則「希望はかなわないという前提で」(人事部いわく)。
そりゃそうだ。数百人からの希望をいちいち聞いて調整なんてできるわけがない。基本、全国型総合職の人(男子がほとんど)は転勤もあり。地方もあり。地域限定型総合職の人(女子のみ)は、自宅もしくは寮から通勤可能なところに配属されることになっているが、営業かスタッフか、支店か本社か・・・なんて詳細は会社側が決めること・・・だった。

ちなみに面談でのワタシの希望。
「どこでもいいといえばいいけれど、できれば、専門的な知識を身につけ、長く勤められるような部門がよいです。」
とついつい口に出していたようだ。研修での不動産鑑定士の女性先輩のインパクトが強かったから。。。
一人2~3分くらいの軽い面談だったと記憶しているが、終了後も別途人事の方をつかまえて、「国際的な部門に配属してください!」と迫っていた子もいた。やる気はすごーくあって、優秀な子だったが、わりとすぐに辞めた。人生そんなものかも。

で、運命の配属発表。
大きなホールのようなところで、一人ひとり名前を呼ばれ、配属先が言われる。
全国型総合職の男子が「秋田支店!」とかいわれるたびに、どよめきが。。。

そして、ワタシの配属先となったのは、

「情報システム部」

ちょっと待て。
それはどこにあるのだ?会社案内にそんな部署あったか?プログラム作ったりするのか???しかも、文系なのに????

と、頭はハテナマークだらけになった。

部署名がピンとこなかったのは、どうも、部署名がワタシの見た会社案内よりも後に変わったこともあったようだ。それまでは「○○改善室」「○○合理化室」のような名称だったらしい。情報システム部よりもシブ目でいい名称だと今なら思うけれど。

それまでは、新卒の大学卒はめったに配属されないような部署だったとか。一応先輩はいたけれど、事務の一般職の方が多かった。あとは、関連子会社のシステム会社と一緒にシゴトをし、職場も一緒なので、そちらにもともと入社した人とか。

そして、配属が決まった6人が連れて行かれたオフィスは、今まで面接や入社前研修で使われていたながめのよい高層ビルのかっこいオフィスの隣の別棟4階。しかも、電車の線路のそばという立地上、半地下みたいに見えるところ。
同じく配属されたやる気のある同期の中には、この部署への配属に憤り、泣いていた子もいた。まあ、今考えれば、バブルのその時期であれば、金融業の小さな情報システム部門で働くくらいなら、大手のコンピュータ会社(IとかNとかFとか)に入社すればよかったという話しである。現にIとかNとかFとかの内定をもらっていた子もいたし。もっとも、今考えれば、IとかNとかFとかに入社していて、今、幸せかどうかは謎だ。。。
そうそう。「はじめからこんな・・・左遷だ」と嘆く子もいた。

ワタシはといえば・・・。

そんな痛手は感じていなかった。
そもそも、新入社員研修時もまじめとは言い難かったし、まあ、何にせよ適当なんだと思う。その頃から。
「なんだかよく分からない部署だし、なんでここに配属されたかどうかも分からないけど、とりあえずやってみるか。専門的部署っぽいから、何か資格でもとったりすればいつか役立つかもしれないし」という感じ。

それまでの研修や、会社案内では見えなかった企業の現実をはじめて知ったのが、配属先に最初に足を踏み入れた時だったと思う。
まあ、きれいでいいところしか見せないわけだ。入社するまでは。
配属先のオフィスや会議室は、段ボールがいっぱい積み上げてあり、連続帳票とかとにかく紙がたくさん。今でもよく覚えているが、島は3つあり、その真ん中がワタシの配属先の課だった。ぐるっと見渡すと、言われていたよりも人の数が多い(他の部署よりはずっと少ないけど)。
そう、プロパー社員だけではなく、関連子会社の社員、協力会社の社員および契約社員など、所属も、また見た感じも(笑)、雑多ないかにもユニークそうな人がたくさんシゴトをしていたのであった。。。
さあ。会社員生活デビュー!
ここからさまざまなおもしろい(今思えば)人や出来事に遭遇していくとは、その時点では想像する余裕すらなかった。

・・・気が向いたらまた続く・・・

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February 07, 2010

思わぬところで卒業生と再会

「う~ん。この名前には見覚えが・・・」。

以前、数年にわたり試験委員を務め、その試験がリニューアルする際に公式テキスト&公式通信教育用の問題を作成し、今でも少しだけ(記述式通信教育の)採点にかかわっているものがある。

ビジネス系でお役所系で、たくさんのユニットがある試験。相当の触れ込みで導入されたが、受験者が少なく、途中でリニューアルしたんだっけ。。。

採点依頼として送られてくる答案は、平均して月に10通程度だし、設問にして5つくらいなので、まったく負荷にはなっていない。
まあ、それはいいとして・・・。

週末送られてきた採点依頼の答案。
年度末にむけての駆け込みなのが、普段よりも少し枚数が多かった。
そこで発見したのが、どうも昨年の春卒業したと思われる学生の名前・・・。音読みだとよくある名前だが、一部の漢字が少し珍しいので間違いないと思う。字にもなんとなく見覚えがあるし。

この資格は、個人で受験することはほとんどなく、企業経由なので、まず、考えたことは
「よかった。会社は辞めてないようだ」。
その卒業生の印象としては、ふつうに明るく友人もいて、周りも見ることができる常識的な子。特別成績が優秀ということではないけれど。なごみ系というか。そういう子が、きっと社会で長くシゴトを続けていけるのかな?とも思う。一緒にシゴトしたと仮定して、きっと嫌な気分にならないと思うもの。

しっかりとした字を書いていたし、規定の文字数もしっかり埋めていたし、元気でやっていそうな雰囲気が答案から読み取れた。
会社からの命令かもしれないが、とりあえず資格を取ろうともしている真面目さも持ち合わせているわけだし。

こんな出会い方にびっくりするとともに、答案から見える一卒業生の成長に一安心。
まあ、彼女はまさかワタシがこの答案の採点者なんて想像にもおよんでいないだろうけれど(採点者名は入れないので)。

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February 06, 2010

「もういちど読む山川日本史」

Nihonshi

日経MJのノンフィクションの書籍ランキングに掲載されていた「もういちど読む山川日本史」。

電車の中など細切れの時間にパラパラと読んでいる。
ワタシたち世代では、歴史のテキスト・参考書といえば「山川」!

高校の歴史教科書を一般向けに書き直した本ということで、しかも、古代・原始から現代までの流れ(通史)が一冊でつかめるという・・・大人の教養本という位置づけ?
歴史なんて本当にすっかり忘れてしまっていて、ドラマやなにかで断片的にしか分かっていないワタシにとっては読み物としても新発見がたくさんでおもしろい。歴史にハマる人は多いようだが、きっと、ワクワクするんだろうな、、、ということがなんとなーく理解できる。

どんな歴史を経て、今、この日本があるのか。
うっすらぼんやりではあるが、つかめそうな予感がする本である。

一つ一つの史実は簡潔すぎるくらいだが、全体の流れの中での比重バランスの良さは魅力。高校の日本史の授業とか、試験とか、担当の先生が好きな時代とか、受験に出やすい時代に比重が置かれすぎてしまって、完全にはしょられる時代とかあったから・・・。

そういえば、オット(世界史選択)が、大学受験時代のことを振り返って、「某大学の世界史は東洋史しか出なかった。”世界史”じゃねえよ!」とお怒りだったなあ。

ちなみに、姉妹版には「もういちど読む世界史」も。
世界史を選択していた方はこちらをどうぞ!

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February 05, 2010

アウェイのシゴト

Twitterで昨日たまたまTL(タイムライン)を見たときに出てきた言葉。
「アウェイの仕事」について。

TLはどんどん流れるので、ピンポイントでその言葉だけを見たきりなのだが、これでふと元上司(サッカー好き)が言っていたことを思い出した。

「アウェイの仕事は勝ち点1を狙え」

「アウェイの仕事」すなわち、自分が得意としていないことや専門外のことを担わされたときにはこう考えよ!という訓示だった。
得意あるいは専門に近い「ホームの仕事」ではないからといって、断れないことはある。
そんなときは、自分がイヤにならない程度にこう考えなさいよ・・ということ。

「勝ち点3」は狙わなくてよい。だってアウェイだから、時差もあるかもしれないし、気候も食事も慣れないことが多いかもしれない。自国のファンも少ないだろう。
とはいえ、サッカーと同じで、「負けて良し」とはならないし、仕事人として、少なくとも決勝リーグにあがるためには、「アウェイの仕事」では最低限勝ち点1を狙っていこう・・・という意図だったと記憶している。

そのくらいの心持の方が、プレッシャーもないし、また、「専門外でもやらなければ!」という肩に力が入りすぎるような状況(こういう状況に陥るとまず周りが見えなくなり、負ける・・・その元上司いわく)にならんだろうよ。ということ。

いいこと言っていたな~。
その当時はよくわからなかったけど。

今後、折に触れて思い出していこう。

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February 04, 2010

長い長い新入社員研修

ワタシたちが就職活動(ちなみにその頃は「しゅうかつ」という言葉はない)をした時代は、今とは比べ物にならないくらい楽で、内定をバンバン取れた時代・・・といわれている。
でも、それは総体的に見れば・・・という話しで、内定を5つも6つも取る人もいれば、なかなか内定そのものを取ることができず、苦労する人もいた。たとえば、女性。たとえば自宅外通勤の人。。。それは今とあまり変わらないような気がする。
でも、採用数は圧倒的に多かったことは事実。やっぱり、「少し先の日本への期待感」が高かったのだろうと思う。

ワタシの時代のリクルートスーツは「紺」。というか、いつから黒になったのだろう?
髪型とかはあまりうるさく言われなかったような気がする。・・・というか、学校でそんなに指導とかはないわけで。「就職ジャーナル」などを見ながら友達と相談・・という感じだったかな?

「記念受験」というのもあった。落ちるのを承知で憧れの企業を受けること。
たとえば・・・大手商社とか。大手広告代理店とか。テレビ局とか。新聞社とか。

まあ、そんなこんなでいろいろ受けたものの、入社を決めたのは、受験した中で唯一の金融サービス業界のA社。成績もアレだし、決して面接がうまくいったとも思えなかったが、大量採用に助けられ内定をいただいた。
ちなみに、第一希望業界はマスコミ。出版社、レコード版社、広告会社など。もうこれだけ見ても「しょうもない何も考えていない大学生」ぶりが見えてくるという感じだ。

金融ということは、入社してからもいろいろな試験もあるし、内容も難しいし。
入社前に日商簿記3級取得が必須だったし(通信教育のテキストが送られてきた)。
ほかに若干内定もいただいていたが、決め手は「社風」だった。女性を活用していることを大アピールしているということもあったが、全体的に自由闊達な感じで、面接等において差別的な発言もなかったし(結婚したら辞める前提で・・・とはっきり言う会社もあった)。
一言でまとめると「(動物的)直観」で入社を決めたということだ。

4月1日をむかえ、その後は新入社員研修に入る。
神奈川県の住宅街の研修センター(すんごい立派だった)に、総合職(数百人)が全員集められ、約1カ月の集合研修。3人の相部屋。ワタシは、関東からきた子1人と、大阪からきた子(研修後は大阪勤務となる)1人の3人部屋だった。救いは、同じ部屋の子たちと気があったこと。
大きな声ではいえないが、「明日までに」と出された課題を「まあ、いいよね」と同調してやらなかったり。どちらかというと、あまりまじめではない人が集まった部屋というわけだ。他の部屋には、もちろん、まじめに課題をやっていた人もいた~。
同室だった3人の中で、大阪からきた子(Mちゃん)は、その後も長く付き合うことになる。たまたま、ワタシが彼女の配属先の取引先のシステムを担当することになり、大阪と東京をお互いにシゴトで行き来することになる。これは本当に心強かった。大阪の部門の情報も彼女から収集することができたし。
彼女の結婚式にまで出させていただいた仲である。

というわけで、まじめに取り組んでいなかった集合研修だった(特に眠かったのは、経理の話しと金利の話し・・・業界的に核となる話題なのだけどね・・)が、思い出に残っているテーマ(新入社員研修のカリキュラム)が2つあった。
一つは、不動産鑑定部門の紹介というカリキュラム。
女性社員で、不動産鑑定士の資格を保有している人がいらして、資格の話しやシゴトの話しをしてくれた。すごく印象に残っている。このテーマがあまりにも印象に残っていて、配属希望ヒアリングのときに、ついつい「スタッフ部門で専門的なシゴト・・・」なんて口走ってしまったことがその後の会社員人生を決定づけたような気もする。
それに「資格」。
人生で、はじめて、「国家資格を持つことで、会社での生き方を明確にしたロールモデル」を見せていただいたわけだ。

そして、もう一つ印象に残っているカリキュラムが、「営業同行研修」。本業の営業部門に1日、不動産営業部門に1日預けられ、先輩営業担当者と一緒について回るのだ。この不動産営業部門での営業同行はかなりインパクトがあった。
担保物件の土地を、人に見つからないように写真を撮ったり。不動産契約の現場にも立ち会わせていただいたが、取引先相手が、まさに「ナニワ金融道」に出てくるようなキャラそのもの!
ダブルのスーツ(もちろんストライプ)にダイヤ入りゴールドロレックス、首元にはゴールドネックレス・・・という(笑)。そして、机の上にドーンと置かれたジュラルミンケースの中には1億円。もちろん警備員さん立ち会いのもと。あれは今思い出してもインパクトのあるシーンだった。。。

新入社員研修で学んだ内容は、はっきりいってあまり覚えていないが、特に営業同行研修で「ああ・・・社会の現実って、働くって大変そうだ。でも、少しカメラをひいてみると、おもしろいことも発見できそうだ」ということは頭に残ったような気がする。

そして、運命の(?)配属発表へ・・・。

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February 03, 2010

「BLUTUS ほぼ日と作った、吉本隆明特集」

Brutus0215

「BURUTUS」2010年2月15日号

特集は「ほぼ日と作った吉本隆明特集」。
糸井さんって本当に吉本さんが好きだなあ。。。

この特集では、「人はなぜ、○○?」というお題がいくつかあがっている。それについてさまざまな角度から考えていこうという。
たとえば、「人はなぜ、悩むのか」「人はなぜ、疑うのか」などなど。
その中に「人はなぜ、働くのか」というテーマがあるのだが、そのページに登場する、キッザニアで遊ぶ・・いや働く子どもたちの写真の表情が実によい!
子どもたちに、「働くってどうですか?」と聞いた返答も、これまた興味深い。

「電車の仕事がしたい。できればJRか西武。なんだかんだ言って、仕事は大変そうに見えて楽しいと思う。」(ケンジ 9歳)
「大人になったら、働いて面白いこといっぱいしたい。お給料もらって、家と車を買いたい。」(ヒロキ 6歳)
「俳優になりたい。大きくなったら働きたい。楽しそうだから。」(コウスケ 10歳)
「パイロットになりたい。空がきれいだから。」(ヒロノブ 7歳)
などなど・・・。

いや~。電車の中で読んでいて、少し気持ちが癒された。
子どもの目にうつる「働く大人の姿」は、今の大人たち自身が考えるほど悲惨な姿ではないようだ。

キッザニア大人版を作ったら、相当お客さんが来ると思うけど。。
少なくともワタシはそんなテーマパーク(?)があったら行きたいなあ。

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February 02, 2010

雪の中の懇親会

昨夜は想定外の大雪。。。

帰宅時(8時ころ)は、都心でも「どうなることやら」というほどのボタン雪で、風も強く、傘は雪でどんどん重くなるわ・・・で、疲れきって家までたどり着いた。

坂に囲まれたわが家。
道が凍結すると「幽閉状態」。どこかに行くのは命がけ(凍結した下り坂は恐怖~)となるのだが。。。
午前中にはなんとか雪も溶けた。

ところで昨日は夕方から、2年生の担当クラスが、学内のラウンジを借りてケータリングパーティ。保護者組織から少し補助が出たとのことで、いくつかのクラスは申請の上、懇親会を実施している。
食堂・売店に食べ物をお願いしたり、宅配ピザを頼んだり。卒業アルバムの委員にあえて幹事をお願いし、任せてみた。見積もり(お金ではなくて)が甘いところもあったが(ごみ袋買わないとかさ~。ワタシが途中で抜けて買ってきた)、なんとかがんばってくれた。

「何人来るの?足りる?」「机の配置はこれで平気?」「思っていたより来てくれないかな(しょぼーん;;)」「あれ?なんだかんだで30人以上来たよ」とか。。。

若手社員時代は、宴会の幹事とか頼まれるからね・・。最低限はできるように、一度経験してもらおうと思って。
というか、こういうことって誰にも教えてもらえない。なぜだろう?もしかしたら、いちばん実践的なことかもしれないのに。

参加者も食べて飲んで(もちろんノンアルコール!)、写真を撮ったり、それなりに楽しんでくれた様子。
よかったよかった~。

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February 01, 2010

そういえば「バブル」という時代があった

有楽町西武が閉店とか。河原町阪急が閉店とか。
景気が上向かないから?消費が活性化しないから?まあ、デパートでの買い物が家族のレジャーだったのは、ワタシたち世代が子どもの頃までなのかなあ。。。
その昔は、デパートに行っておもちゃや洋服を買うこと、デパートの上階のレストランでごはんを食べることは年に数回のお楽しみだったなあ。
デパートが閉店ということになると、(今でこそめったにデパートに買い物に行かないのに)妙にノスタルジックになって、「なんで~?」となるのは、「家族の思い出」がたくさんつまっているからなのかもしれない。

で、先日の勉強会のメンバーに、偶然、ワタシの元勤務先で現在働いている方(男性=Aさん)がいる。Aさんは中途入社なので、ワタシと入れ替わりがギリギリニアミスしているか?くらいなのだが。ワタシが退社してからしばらくたって、資格つながりで偶然縁があり、お会いしたということになる。

元勤務先は、かつて、同業他社がドタドタ倒れた時期であっても、一人勝ちしていたのに、今はすごく調子が悪くて、社内の雰囲気も???(Aさん曰く)。部門にもよるかもしれないけれど。
そして、ワタシが出向していた会社(関連・・というか・・子会社)は、親会社が保有する物件に引っ越すとか。これって、ほかにお客様が入居してくれないから、身内が入るってことを意味しているんだよな・・・。

そういえば、勉強会で「組織」についてディスカッションしているときに、だれかのテーマがきっかけで「組織愛」が話題にのぼった。
「たとえばリクルートにいた人は”リクルートに前いました~!”って、実名で社名を出すよね?」とか。「日立の関連会社にいたけど、”日立では・・・”っていまだに言う」とか。一方、出さない人もいる。「メーカーで」とか「某銀行で」とかくらい。辞めても社名を会話に出すというのは、何か、誇りがあるんだろうね、という話し。
ワタシは、取り扱う商品に愛着はあまりなかったが、会社は嫌いではなかった。何より、そこにいた人たちが愛すべき人たちだったので。上司も同僚も、シゴトで関係した部門の方々も。だから、ここでは出さないが、会話の中では「○○社にいましたよ」ということをしょっちゅう出している気がする。。。

時代は変わっても、せめて愛すべき人たちの集団であってほしいなあ。Aさんの言う通り「社内の雰囲気が・・・」という状況だとしたら少し悲しい。

そういえばバブルという時代があった。

ワタシが社会に出たのは、ふりかえってみれば、あと2~3年でバブルが終わった時期。つまり、バブル後半。タクシー券使い放題・・・みたいな時代。大阪出張も、エコノミーだけど飛行機も使ったし、前泊後泊もOKだった(今は日帰りが基本だとか)。

なぜか、今年年頭から、あの頃のことをふりかえってみたい気分になっている。
新入社員だった頃の新鮮な気持ちに戻りたいのかも。
というわけで、読んでくださっているみなさんにはつまらないかもしれないけれど、不定期であの頃のことをふりかえってみたいと思う。

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