「下流大学に入ろう!」
「下流大学に入ろう!」山内太地著
【出版社のHPより】
日本の大学は昔から偏差値による「格付け」がなされていて、そのピラミッドは非常に強固なものだった。東大以下、ランクが下がるにつれ、卒業生の人生の「格」も下がっていく仕組みだった。
しかし、今、このピラミッドは誰の目から見ても崩壊している。東大に行ったエリートも、その将来は不安と不満で一杯だ。であるなら、あえて東大に行く必要がどこにあるのだろうか?
考えてほしいのだが、かつて既存のシステムがもうダメだという危機の際、立ち上がったのは、既得権益のないエリート以外の人々だった。 それは織田信長や坂本龍馬を見れば一目瞭然だ。同じように、この混迷の時代、次世代のリーダーがエリート校から出るわけがない。
もちろん、単なるバカが次世代のリーダーになれるわけがない。だが、たとえ今はバカであっても、大学で真摯に学べばバカはバカでなくなる。むしろ、常識にとらわれない下流大学の卒業生にこそ、勝てるチャンスはあるのだ。その可能性こそ、現代の日本の希望ではないかと思っている。
「教育ルネッサンス 大学の実力」のもうちょっとやわらかいバージョンの本。
著者の山内太地氏は、世界中の大学を見学してまわっている。そこから得た生の情報が満載なので、なんだか説得力があるのかな?
本の中身を読むにつれ、「下流~」っていうタイトルはどうなの???という気持ちになる。なぜならば、記述内容そのものは本当に真摯で信念が明確であるからだ。世界中の大学を自分の足で歩き、自分の目でしっかりと見ているだけのことはある。
まあ、出版社は「売る」ため「目をひかせる」ために多少エキセントリックなタイトルをつけるからな。。。
「下流大学」(←この本でいう)がどのような取り組みをしているのか、試行錯誤しているのかが紹介されているわけだが、なんだか、「偏差値」とか「ブランド」とか気にしているのって、ワタシたち世代以上の親をはじめとする大人だけなのかな?という気がしてくる。
「いい大学(・・・この言い方も何なのかと思うが・・・)に入りたいと、子どもが自ら言っている」と話す人もいるだろうが、それは、親世代の洗脳もとい教育の影響もあるのでは??と。
さまざまな取り組み(うまくいっていない例や発展途上の例も含め・・・新設学科のオープンキャンパスに人が来ないとか)の紹介も読みでがあるが、著者の思いは「はじめに」に集約されているような気がする。
その中でも特に印象に残った部分を引用したい。
人には能力差がある。しかし、学問は学ぶ意欲に対して平等であるはずだ。すべての人が、自らの学びたい分野を持ち、それを学び、人に語れる。それが私の理想である。私たち一人ひとりが、自分のため、他者のために何ができるのか。学問を追究していく中にきっとその答えがある。
「教育ルネサンス 大学の実力」と一緒に読むと、一層おもしろいかも。「下流大学」の学生を採用する側の企業人にもオススメ。
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