親というもの
九州で殺された男の子。
結局母親の手によるものだったのね・・・。
報道されている状況が状況だけに、もしかして・・・という
思いがあったが、「母親が犯人であってほしくない」という
気持ちの方が強かった。
でも、やっぱり・・・。
成績が芳しくなく、保証人(母親)に配達証明の手紙が
いっているはずの学生。
その手紙の「不在票」が自宅に放置されているとか。
なぜ?
本人(学生)に聞くと、どうも、母親は家に帰ってこないらしい!?
家に帰り、オットにグチると、
「親も立派な人間ばかりではない」
「親も、人の親になるべくしてなった人間ばかりではない」
と、冷静沈着・ごもっともな発言。
(オットは人の親でもないし、子どもの立場としても
決して親孝行な子どもではないのだが・・・)
はぁ~(ため息)。そうですなあ。
実家で話してみても、
「その親を育てた親は、おそらく60代半ば過ぎ?
すでにそこから連鎖がはじまっているのでは?」
だって。。。
Comments
ごめんなさい。またコメント^^;
母が子を手にかける気持ち、正直全くわからないです。ただ、子供を自分の分身と勘違いしてたのではないかと。
不在票放置の母親は、その真逆なのかな。
二人に共通して感じるのは「たぶん孤独」。
哺乳類なら、集団で子育てするのが普通なのに、今の人間社会(特に日本)はそれが難しくなってる。「コミュニケーション」をひとつの科目として訓練しなくてはいけないのかも。情けないけど…。
Posted by: フヂワラです | September 23, 2008 11:31 PM
>フヂワラさん
>「たぶん孤独」
そうですかぁ・・・。
よく分からないのですが、昔の方が、
「親として」とか、今ほど意識していなかったような気がします。
頭でどうこう考えるより「”現実”に鍛えられながら親になる」っていうイメージを持っていたのですが。
孤独だから考えちゃうのかしら?
「親として」生きるのも、「子として」生きるのも難儀な時代になってしまったのかなあ??
Posted by: lamb_labo | September 27, 2008 02:54 AM