阪神淡路大震災から13年
もう13年。
診断士第3次実習期間中に起こった大惨事なので、
非常に印象的だったし、衝撃的だった。
最初の勤務先は神戸にゆかりの深い会社だった。
ワタシがいた部課では、震災の年から、バレンタインデーの
チョコレート配布(いわゆる義理チョコ配布)をやめて、
復興を手助けする諸機関へ募金をすることにしていた。
今も続いているのだろうか?
家も家族も亡くした方の孤独死も多いという。
長年過ごしたコミュニティから離れることが、どんなに
ストレスになったのだろうか・・・と思うと、天災とはいえ、なんとも。
そして、震災で親や兄弟を亡くした子どもたち。
逆に子どもを亡くした親たち。
小学校1年生だった子どもは成人を迎える年になった。
大打撃を受けた長田地区の産業は?
うまく復興できた企業もあるが、厳しい状況のままの中小企業も
あるらしい。
「阪神淡路大震災から学んだことは多かった」とメディアは伝える
けれど、風化されずに伝えていくことはできるのか?
そんなことを思う、1月17日である。
教育機関に勤務しているにもかかわらず、
担当する科目の関係で、「震災孤児の心の癒しの場」を
提供する機関とお付き合いができることになった。
レインボーハウスに行くことは難しいが(距離と時間の関係で)、
本部にお邪魔する機会がありそうなので、ぜひ、お話しを
うかがいたいな・・・と思っている。
これも一つの縁だから。。。
Comments
こんにちは。昨日の某新聞で、「これまでは支援される側だったけれど、これからは支援する側」と語る、大学進学が決まった震災遺児のコメントが掲載されていました。彼は、私なんかが想像できないくらいいろんなものを乗り越えてきたんでしょうね。
・・・って、人事じゃないんですよね。地震は日本全国、いつどこで起こるかわからないんですから。
Posted by: miki_renge | January 18, 2008 04:59 AM
>miki_rengeさん
まちのハード面は復興しても、ソフト面はなかなか・・・というところでしょうか?
東京で同規模の地震があったら・・・。
小さいお子さんがいるご家庭はとりわけ心配ですよね。
Posted by: lamb_labo | January 18, 2008 01:21 PM
ちいさいおこさんを預かる施設、できる限りのことはしたくても予算も人も足りません。
夕方の延長保育時間内に阪神淡路規模の地震が起きたら、正直いってなすすべありません。
わたしの二本の腕で助けられる子どもの数は・・。
我が家のこどもには
「おかあさんが保育所に仕事に行ってて地震が起きたら、3日は帰ってこないと覚悟して」と言ってありますが・・。
Posted by: おりがみ | January 19, 2008 10:38 AM
>おりがみさん
>わたしの二本の腕で助けられる子どもの数
う~~ん。
災害が起こっている現場では、結局は「人の手」「人の力」なんですよね。
何も起こらないことを祈るばかりですが、こればかりは・・・。
Posted by: lamb_labo | January 20, 2008 12:38 PM