明鏡止水
高校時代の書道(芸術選択科目というヤツだ。今は違うのかも)の先生は、
中国に何度も勉強に行った熱心な先生。実は有名な先生だとかいう噂も。
卒業をする前、最後の授業で、その科目を選択していた学生一人一人に、
メッセージ、あるいは各学生に合う言葉をさらさらっと書いて渡してくれた。
今思い出すと、なかなか気の利いたことしてくれる先生だ。
「明鏡止水」という言葉は、ワタシにあてて書いてくれた言葉。
2005年8月21日(日)付日経新聞文化面「漢字コトバ散策」にその解釈が
あり、思わず目を留めた。
「明鏡止水」は静かに澄み切った心境をたとえる4字句の成語で、
原拠は「荘子」徳充符篇にある。水は静止した状態においてこそ
すべてのものを静かに映し出すことができる。
曇りのない鏡に塵はつかず、塵がつけば鏡は曇る。「明鏡止水」は個人の心境ではなく、行政や裁判で私心なく公正な
判断を下すことをたとえている。
また、手元にあり、時々パラパラ見ている本「一日一禅」。
その本では、勝海舟が「氷川清話」の中でこう述べていると書いてある。
いわゆる心を明鏡止水のごとく研ぎ澄ましておきさえすれば、いつ
いかなる事変が襲うてきても、それに処する方法は、自然と胸に
浮かんでくる。いわゆる物来たりて順応するのだ。
うーん、どういう意味で書いてくれたんだろ?
ちなみに他の子はそれぞれ違う言葉を書いてもらっていたと記憶している。
どうでもいいけど、日経のこのコラムの真下は「アイルケ」=小説「愛の流刑地」。
挿絵が激しいって!
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